投稿者: hodzilla51

  • S660 – JW5【軽自動車枠で本気を出した、最後のミッドシップ】

    S660 – JW5【軽自動車枠で本気を出した、最後のミッドシップ】

    軽自動車でミッドシップ。

    この時点で、だいぶ変なクルマです。しかもそれを2015年に、しかもホンダが本気で市販した。

    S660という車は、冷静に見るほど「なぜこれが世に出たのか」が気になる一台です。

    ビートの後継ではなく、ビートの精神の続き

    S660を語るとき、どうしても1991年のビートが引き合いに出されます。

    ホンダが軽自動車枠で作ったミッドシップオープンスポーツ。自然吸気の高回転エンジンを背中に積んだ、あの小さな名車です。

    ただ、S660はビートの直接の後継というよりも、「ビートが証明したこと」を引き継いだクルマと言ったほうが正確です。

    つまり、軽自動車の枠の中にも本気のスポーツカーは成立する、という命題。ビートの生産終了から約20年、ホンダがその命題にもう一度答えを出したのがS660でした。

    26歳の開発責任者が通した企画

    S660の開発経緯は、ホンダの中でもかなり異例です。2010年に社内公募で行われた新商品企画コンテスト「Nプロジェクト」で、当時26歳だった椋本陵氏が提案したコンセプトが出発点になっています。

    若手が出したアイデアが、そのまま市販車の開発責任者に繋がるという流れ自体が、ホンダらしいと言えばホンダらしい。

    ただ、これを「若い情熱が会社を動かした美談」だけで片づけるのは少し表面的です。

    当時のホンダは、Nシリーズで軽自動車市場に本格的に再参入し、Nボックスが爆発的に売れていた時期。

    軽のプラットフォームやパワートレインの開発資産が社内に蓄積されていたからこそ、ミッドシップスポーツという変化球にもゴーサインが出せた。

    企画の情熱と、タイミングの両方が揃っていたわけです。

    660ccターボをリアミッドに積む意味

    S660のエンジンは、S07A型の直列3気筒ターボ。

    64馬力という数字は軽自動車の自主規制上限そのもので、数字だけ見ると特別なものではありません。でも、このエンジンをどこに積んだかが決定的に重要です。

    運転席のすぐ後ろ、リアアクスルの手前にエンジンを横置きするミッドシップレイアウト。

    これによって前後重量配分はほぼ45:55。

    軽自動車としては異例の、駆動輪にしっかり荷重が乗る設計です。フロントにエンジンがないぶんノーズは低く、重心も低い。結果として、660ccとは思えないほど回頭性が鋭く、コーナリングの手応えが濃いクルマになっています。

    トランスミッションは6速MTとCVTの2本立て。CVTにはパドルシフトが付き、MTを選ばない層にもスポーツ走行の入口を用意しました。ここにも「間口を広げたい」という企画意図が見えます。

    オープンだが、トランクがない

    S660はタルガトップ式のオープンカーです。

    ルーフは手動で脱着するロールトップ方式で、外したルーフはフロントのボンネット内に収納します。ここで気づくのが、このクルマには実質的にトランクがないということ。フロントはルーフ収納用、リアはエンジンが占領している。荷物を積む場所が、ほぼありません。

    これを不便と見るか割り切りと見るかで、このクルマへの評価は分かれます。ただ、ホンダは最初からS660を「日常の足」として設計していません。走ることそのものが目的のクルマに、積載性を求めること自体がずれている。そういう企画判断を、軽自動車という最も実用性が問われるカテゴリで通したことに意味があります。

    足まわりの本気度

    S660のサスペンションは前後ともにマクファーソンストラット式。形式だけ見れば一般的ですが、注目すべきはその専用設計の徹底ぶりです。フロントのロアアームはスポーツカー的なワイドトレッドを確保するために新設計され、リアサスもミッドシップレイアウトに合わせて専用のジオメトリが与えられています。

    ボディ剛性にもかなり手が入っています。軽自動車の規格寸法の中で、オープンボディの剛性を確保するのは構造的に難しい。S660ではフロア下にセンタートンネルを通し、サイドシル断面を大きく取ることで、オープンでありながら不快なボディのよじれを抑え込んでいます。

    結果として、街乗りでは「ちょっと硬いかな」と感じる場面もありますが、ワインディングに持ち込むと路面との対話が一気に濃くなる。そういう味付けです。

    限界と、それでも残したもの

    もちろん、S660に弱点がないわけではありません。

    64馬力というパワーは、高速道路の合流や追い越しでは明確に不足します。ミッドシップゆえの室内の狭さ、エンジン音の侵入、前述のトランクレス。

    実用車としてはまったく成立しません。

    価格も軽自動車としては高めで、発売時の車両本体価格は約198万円から。上級グレードのαは約218万円。

    同じ予算でコンパクトカーのスポーツモデルが買える価格帯です。「軽にこの値段を出すのか」という声は、当然ありました。

    それでも、S660は2015年の発売直後からバックオーダーを抱え、ホンダの想定を上回る反響を得ています。

    数字だけでは測れない「運転する楽しさの密度」に、確かに応えたクルマだったということです。

    生産終了という結末

    S660は2022年3月をもって生産を終了しました。

    最終モデルとして特別仕様車「Modulo X Version Z」が設定され、即完売。直接的な後継車は発表されていません。

    生産終了の背景には、軽自動車の安全基準・環境規制の強化があります。ミッドシップのオープン2シーターという形式を、今後の規制に適合させながら軽自動車の価格帯に収めるのは現実的に困難だった。これはホンダだけの問題ではなく、ダイハツ・コペンも含めた軽スポーツ全体の構造的な課題です。

    ただ、S660が残した意味は小さくありません。

    このクルマは「軽自動車でもスポーツカーの本質は成立する」というビート以来の命題に、現代の技術と規格で改めて答えを出しました。

    そしてその答えが、規制と市場の変化によって再び封じられた。

    S660は、ある時代にだけ許されたクルマです。

    だからこそ、今振り返る価値がある一台だと思います。

  • BEAT – PP1【軽自動車にミッドシップを積んだ、ホンダの本気の遊び】

    BEAT – PP1【軽自動車にミッドシップを積んだ、ホンダの本気の遊び】

    軽自動車でミッドシップ。

    この言葉だけで、もう普通じゃないことはわかります。

    1991年、ホンダが世に送り出したビート(PP1)は、660ccの自然吸気エンジンをドライバーの背後に置き、フルオープンで走るという、どう考えても「売れ筋を狙った商品」ではありません。

    でも、だからこそ30年以上経った今でも語られ続けている。

    この車には、ホンダという会社がある時期に持っていた「やってみたかったからやった」という空気が、そのまま形になっています。

    バブルが許した「遊びの本気」

    ビートが登場した1991年5月は、日本経済がバブルの余韻をまだ引きずっていた時期です。

    NSXが1990年に発売され、ホンダの技術的威信は頂点にありました。

    F1では連勝を重ね、社内の士気も高い。そんな時期に、軽自動車の枠でスポーツカーをやろうという企画が通ったこと自体が、時代の空気を物語っています。

    ただ、ビートは単なるバブルの浮かれ仕事ではありません。

    企画の発端は1980年代半ばに遡ります。ホンダ社内で「軽で本格的なオープンスポーツを作れないか」というアイデアが動き始め、若手エンジニアを中心としたチームが開発を担いました。

    当時のホンダには、LPL(ラージ・プロジェクト・リーダー)制と呼ばれる開発責任者制度があり、比較的若い技術者にも大きな裁量が与えられていました。

    この時代のホンダには、もうひとつ重要な背景があります。

    1990年の軽自動車規格改正です。排気量上限が550ccから660ccに引き上げられ、ボディサイズもわずかに拡大されました。

    この新規格への移行が、ビートのようなチャレンジングな企画に現実的な余地を与えたのは間違いありません。

    ミッドシップという選択の必然

    ビート最大の特徴は、言うまでもなくミッドシップレイアウトです。エンジンを後輪車軸の前方、運転席の背後に横置きで搭載しています。

    軽自動車でこの配置を選ぶのは、コスト的にも設計的にも明らかに不利です。フロントにエンジンを置いたほうが、はるかに簡単に作れます。

    それでもミッドシップを選んだのは、走りの質を本気で追求したからです。

    重量物を車体中央に集めることで、ヨー慣性モーメント——つまり車が向きを変えるときの「もたつき」を小さくできます。軽い車体にこのレイアウトを組み合わせれば、ステアリングを切った瞬間にスッと向きが変わる、軽快な回頭性が得られます。

    ホンダにはアクティやバモスといったミッドシップ(リアエンジン寄りですが)レイアウトの軽商用車の知見がありました。

    まったくのゼロからミッドシップを作ったわけではなく、社内に蓄積された技術があったことも、この選択を後押ししています。ただし、ビートのためにフロアやサスペンションは専用設計されており、商用車の流用で済ませたような安易な作りではありません。

    NAで回して楽しむという哲学

    同時期のライバルを見ると、スズキ・カプチーノ(1991年)はターボ付き、ダイハツ・コペンはまだ登場前(2002年)。

    ABCトリオと呼ばれたオートザム AZ-1(1992年)もターボでした。軽スポーツの世界では、ターボで馬力を稼ぐのがほぼ常識だった時代です。

    ビートはそこに背を向けました。搭載されたE07Aエンジンは、自然吸気の直列3気筒SOHC 656cc。最高出力は64馬力で、軽自動車の自主規制上限に達しています。

    ただしその64馬力は、8,100rpmという高回転域で絞り出すもの。ホンダ独自のMTREC(Multi Throttle Responsive Engine Control)と呼ばれる3連スロットルシステムを採用し、各気筒に独立したスロットルボディを与えています。

    3連スロットルというのは、要するにアクセル操作に対するエンジンの反応を極限まで鋭くするための仕組みです。

    通常の1スロットルに比べて吸気の応答が速く、右足の動きにエンジンが即座に追従します。これはNSXやタイプRの系譜にも通じる、ホンダの「回して楽しい」という思想そのものです。

    トルクは絶対的に細い。最大トルクは6.1kgf·m/7,000rpmで、日常域では決して力強くはありません。

    でも、それがビートの狙いでもあります。エンジンを高回転まで回し切って走ることが前提の設計であり、低速トルクで楽をさせる車ではないのです。

    回さなければ遅い。回せば気持ちいい。

    この割り切りが、ビートの走りの核心です。

    オープンであることの意味

    ビートはフルオープンボディです。ソフトトップの幌を手動で開閉する方式で、電動格納のような豪華さはありません。ただ、このオープン構造は単に「気持ちいいから」だけで選ばれたわけではありません。

    ミッドシップのオープンカーという構成は、エンジン音を直接ドライバーに届けるための装置でもあります。背後で回る3気筒の吸排気音が、幌を開けた瞬間にダイレクトに聞こえてくる。この体験は、屋根のある車では絶対に再現できません。ビートの開発陣が「五感で楽しむ車」を標榜していたことは、各種メディアでのインタビューでも繰り返し語られています。

    車重は760kg。軽自動車としても特別に軽いわけではありませんが、ミッドシップかつオープンという構造を考えれば十分に軽量です。ボディ剛性の確保には相応の苦労があったはずですが、サイドシルを太くするなどの構造的な工夫で対応しています。

    売れたのか、売れなかったのか

    ビートは1991年5月の発売直後、予想を超える受注を集めました。初年度の販売は好調で、バックオーダーを抱えるほどだったと言われています。ただ、その勢いは長くは続きませんでした。

    バブル崩壊後の景気後退が直撃したこと、そして2シーターのオープン軽スポーツという商品がそもそもニッチであること。この二重の壁に、ビートは直面します。1996年に生産終了となるまでの総生産台数は約33,600台。数字だけ見れば大ヒットとは言えません。

    しかし、この台数を「少ない」と断じるのは少し違います。ビートは最初から大量に売ることを目的とした車ではありません。ホンダが自社のスポーツブランドとしてのアイデンティティを、軽自動車という最も身近なカテゴリーで表現するための車でした。その意味では、33,600台という数字は、むしろ健闘と言えます。

    ビートが残したもの

    ビートの直接的な後継車は、長い間存在しませんでした。ホンダが再び軽オープンスポーツを世に出すのは、2015年のS660(JW5)まで待たなければなりません。実に19年のブランクです。

    S660はビートの精神的後継と位置づけられ、ミッドシップレイアウトを踏襲しました。ただしS660はターボエンジンを採用しており、ビートのNA高回転型という哲学はそのまま受け継がれたわけではありません。それでも「軽でミッドシップのオープンスポーツ」という系譜は、ビートなしには存在しなかったものです。

    もうひとつ、ビートが残した遺産があります。それは「軽自動車でも本気のスポーツカーが成立する」という証明です。カプチーノやAZ-1とともに、1990年代初頭の軽スポーツブームを形成したこの3台は、後のコペンやS660に至る道を切り開きました。ビートは、その中でも最も「走りの質」にこだわった一台だったと言っていいでしょう。

    660ccの自然吸気エンジンを8,000回転以上まで回し、ミッドシップの旋回性能を味わい、オープンエアの中でエンジン音を全身に浴びる。ビートが提供したのは、速さではなく「運転している実感」そのものでした。

    それは、数値では測れない価値です。

    だからこそ、PP1は今でも中古市場で根強い人気を保ち続けているのだと思います。

  • カプチーノ – EA11R/EA21R【軽自動車の枠で本気のFRスポーツを作った話】

    カプチーノ – EA11R/EA21R【軽自動車の枠で本気のFRスポーツを作った話】

    軽自動車でFR。

    しかもターボ付きで、屋根が開く。

    冷静に考えると、これはかなり異常な企画です。

    1991年、スズキが世に出したカプチーノ(EA11R)は、軽自動車の枠組みの中に本格的なスポーツカーの文法をそのまま持ち込んだ、極めて特異なクルマでした。

    なぜこんなクルマが生まれたのか。そしてなぜ、後継が出ないまま一代で終わったのか…

    その背景には、時代の空気と、スズキという会社の体質が色濃く映っています。

    バブルが許した「軽の本気」

    カプチーノの企画が動き始めたのは1980年代後半、いわゆるバブル経済の真っ只中です。当時の自動車業界は、採算性だけでは説明できないクルマを各社が次々と送り出していた時代でした。

    ホンダのビートやマツダのAZ-1もほぼ同時期に登場しており、この3台はのちに「ABCトリオ」(AZ-1・ビート・カプチーノ)と呼ばれることになります。

    ただ、カプチーノはこの3台の中でも明らかに毛色が違います。

    ビートはミッドシップのNAで「気持ちよさ」を追求した設計、AZ-1はガルウイングという飛び道具で話題性を狙った面もある。

    一方カプチーノは、FR・ターボ・クロスレシオのミッション・前後重量配分51:49という、スポーツカーの教科書をそのまま660ccに圧縮したような構成です。

    要するに、遊び心やキャッチーさではなく、「小さいけれど構造として正しいスポーツカー」を作ろうとしていた。そこがカプチーノの出発点です。

    なぜスズキがFRを選んだのか

    スズキといえばFFの軽自動車メーカーという印象が強いかもしれません。アルトもワゴンRもFF、もしくはFFベースの4WD。そんなスズキがなぜカプチーノでFRを選んだのか。ここには明確な理由があります。

    カプチーノの開発チームは、当初から「操る楽しさ」を最優先に掲げていました。エンジンをフロントに縦置きし、後輪を駆動する。ステアリングは駆動力から解放され、純粋に曲がることだけに集中できる。この基本レイアウトを軽自動車で実現すること自体が、プロジェクトの核心でした。

    エンジンはアルトワークスなどに搭載されていたF6A型の660cc直列3気筒ターボ。これをフロントミッドシップに近い位置に縦置きし、プロペラシャフトで後輪に動力を伝えます。前後重量配分はほぼ50:50。車重はわずか700kg。この軽さと重量バランスが、カプチーノの走りの根幹を支えています。

    つまりスズキは、既存のパワートレインを使いながらも、レイアウトだけは一切妥協しなかった。ここに、このクルマの本気度が表れています。

    3分割ルーフという発明

    カプチーノのもうひとつの大きな特徴が、3ピースの脱着式ルーフです。ルーフパネルを3分割して外すことで、フルオープン・Tトップ・タルガトップと、状況に応じて複数の形態を選べる。この発想は当時としてもかなりユニークでした。

    ただし、これは単なるギミックではありません。2シーターのFRスポーツで、しかも全長3,295mmという極端に短いボディ。そこにハードトップのオープン機構を組み込むには、幌よりも剛性を確保しやすい脱着式が合理的だったという側面もあります。

    外したルーフパネルはトランクに収納可能。小さなクルマの中で、実用性と楽しさを両立させるための工夫が詰まっていました。ちなみに、この3分割ルーフの構造は意匠としても印象的で、カプチーノのアイデンティティのひとつになっています。

    EA11RからEA21Rへ——変わったことと変わらなかったこと

    カプチーノは1991年にEA11Rとして登場し、1995年のマイナーチェンジで型式がEA21Rに変わります。最大の変更点はエンジンで、F6A型からK6A型に換装されました。

    K6A型はアルミブロックを採用した新世代のエンジンで、F6Aに比べて約10kg軽量化されています。最高出力は同じ64馬力(軽自動車の自主規制値)ですが、トルク特性がやや変わり、中回転域のレスポンスが改善されたと言われています。

    ただ、この変更をどう評価するかはオーナーの間でも意見が分かれるところです。EA11Rの「F6Aの荒々しさが好き」という声もあれば、EA21Rの「K6Aのほうが扱いやすくて速い」という声もある。どちらが正解というより、エンジンの性格が変わったことで、同じカプチーノでも乗り味の印象がかなり違う、というのが実態に近いでしょう。

    一方で、シャシーやボディの基本構造、3分割ルーフ、FRレイアウトといったカプチーノの骨格は変わっていません。EA21Rはあくまでエンジン換装を中心としたアップデートであり、クルマの思想そのものは一貫していました。

    700kgが教えてくれること

    カプチーノの走りを語るうえで、避けて通れないのが車重700kgという数字です。64馬力で700kg。パワーウェイトレシオは約10.9kg/ps。これは当時の軽スポーツとしては十分に速い数値ですが、カプチーノの本質はストレートの速さにはありません。

    軽さは、すべての操作に対するクルマの反応速度を上げます。ブレーキを踏めばすぐ止まる。ステアリングを切ればすぐ向きが変わる。アクセルを開ければすぐ加速する。この「すぐ」の感覚が、700kgのFRでは非常に濃密になります。

    しかも前後重量配分がほぼ均等なので、コーナリング中の挙動が素直で、荷重移動の練習台としても優秀です。実際、ジムカーナやサーキット走行会でカプチーノを使うドライバーは今でも少なくありません。「速さ」ではなく「操る密度」が高いクルマ。それがカプチーノの本質的な魅力です。

    なぜ一代限りで終わったのか?

    カプチーノは1998年に生産を終了し、後継モデルは登場していません。ABCトリオの中で、ビートもAZ-1も同様に一代限り。つまり、軽FRスポーツという市場そのものが継続しなかったということです。

    理由はいくつかあります。まず、バブル崩壊後の市場環境。1990年代後半は軽自動車に求められる役割が「日常の足」に回帰し、趣味性の高いモデルに開発コストを割く余裕がなくなりました。

    カプチーノのようなFR専用プラットフォームは、他車種との部品共有が難しく、量産効果が出にくい。スズキの経営判断として、継続は現実的ではなかったのでしょう。

    加えて、安全基準や排ガス規制の強化も影を落としています。

    1998年の軽自動車規格変更でボディサイズが拡大され、衝突安全性の要求も高まりました。700kgのFRオープンという構成を、新しい基準の中で成立させるのは技術的にもコスト的にもハードルが高い。

    カプチーノは、ある意味で「あの時代だから成立したクルマ」だったとも言えます。

    軽自動車史に残した意味

    カプチーノが証明したのは、軽自動車の枠でも本物のスポーツカーは作れるということです。それはパワーの話ではなく、レイアウトの話であり、重量配分の話であり、設計思想の話です。

    660cc・64馬力という制約の中で、FRレイアウト、縦置きエンジン、50:50の重量配分、700kgの車重、3分割ルーフ。これらをすべて成立させたことが、カプチーノの功績です。制約があるからこそ、設計の純度が上がる。カプチーノはその好例でした。

    スズキは2010年代以降、何度かカプチーノ後継の噂が浮かんでは消えています。実現していないのは、あの時代の条件がもう揃わないからでしょう。

    だからこそ、EA11R/EA21Rという2つの型式が刻んだ記録は、軽自動車の歴史の中で特別な位置を占め続けています。

    小さなクルマが大きな思想を持っていた。

    カプチーノとは、そういう一台です。

  • SPORTS 360【市販されなかったホンダの原点】

    SPORTS 360【市販されなかったホンダの原点】

    ホンダが初めて世に問うた四輪スポーツカーは、実は市販されていません。

    1962年、まだ二輪メーカーとしてしか認知されていなかったホンダが全日本自動車ショーに出展した小さなオープンカー。

    それがSPORTS 360です。

    型式もつかず、量産もされなかった。

    けれどこの車がなければ、S500もS600もS800も、おそらく存在しなかった。

    ホンダの四輪史を語るなら、ここから始めるのが筋というものです。

    これ、便宜上S660の系譜に入っていますが、実際はもっと広い血統の始祖と言えるようなクルマです。

    二輪屋が四輪を作る、という挑戦

    1960年代初頭の日本は、通産省(現・経済産業省)が自動車産業の再編を進めようとしていた時代です。

    新規参入を制限する方向の政策が議論されており、二輪メーカーであるホンダが四輪に乗り出すこと自体が、行政との摩擦を伴う決断でした。

    本田宗一郎はそれでも四輪をやると決めていました。

    有名な話ですが、「私が何を作ろうと自由だ」という趣旨の発言を残しています。この言葉は単なる反骨精神ではなく、二輪で培った高回転エンジン技術を四輪に転用できるという技術的な確信に裏打ちされたものでした。

    ただ、いきなり大排気量のセダンで既存メーカーに挑むのは現実的ではありません。ホンダが選んだのは、自分たちの得意領域──小排気量・高回転・高出力──を最大限に活かせる軽自動車規格のスポーツカーという土俵でした。

    356ccで33馬力という異常値

    SPORTS 360の心臓部は、排気量わずか356ccの直列4気筒DOHCエンジンです。この数字だけ見ても、当時としては相当に異質だったことがわかります。軽自動車に4気筒、しかもDOHC。1960年代初頭の軽自動車といえば、2気筒や空冷の実用エンジンが当たり前の世界です。

    最高出力は33馬力、回転数は8,500rpmに達したとされています。リッターあたり約93馬力。この数字は、二輪レースで鍛えたホンダの高回転エンジン技術がそのまま持ち込まれた結果です。バイクのエンジン屋が四輪を作ると、こうなる。SPORTS 360はその証明のような存在でした。

    車両重量は約380kgと極めて軽量で、最高速度は130km/hを超えたとも言われています。当時の軽自動車としては破格の性能です。ただし、これらのスペックはプロトタイプ段階のものであり、量産仕様として確定した数値ではない点には注意が必要です。

    なぜ市販されなかったのか

    全日本自動車ショーで大きな注目を集めたSPORTS 360ですが、結局そのまま市販には至りませんでした。理由として最も有力なのは、開発の過程でエンジン排気量を拡大する判断がなされたことです。

    360ccという軽自動車枠に収めるよりも、排気量を500ccに引き上げたほうが商品として成立する──そう判断されたと考えられています。実際、SPORTS 360の発表からわずか半年ほどで、排気量を531ccに拡大したS500が発表されます。エンジンの基本設計はSPORTS 360から引き継がれており、4気筒DOHC、チェーン駆動という構成は共通です。

    つまりSPORTS 360は、開発途上で「もっといける」と判断された結果、自らが進化形に道を譲った車です。打ち切りというよりは、発展的解消に近い。ホンダの四輪開発が驚くほどのスピードで進んでいたことの証拠でもあります。

    チェーン駆動という選択

    SPORTS 360の駆動系には、後輪をチェーンで駆動する方式が採用されていました。これは後のS500にも引き継がれた特徴です。通常の四輪車であればプロペラシャフトとデファレンシャルギアで後輪に動力を伝えますが、ホンダはバイクの技術をそのまま応用するかたちで、チェーンドライブを選びました。

    この方式には、軽量化やレイアウトの自由度といったメリットがある一方で、耐久性やメンテナンス性では従来の駆動方式に劣る面もあります。実際、S500の後継であるS600以降ではチェーン駆動は廃止され、一般的なドライブシャフト方式に変更されました。

    ただ、この判断をネガティブに捉えるのはやや短絡的です。ホンダには四輪の量産経験がなかった。二輪で実績のある技術を使って最短距離で四輪を成立させる、という合理的な選択だったとも読めます。完成度よりもスピードと独自性を優先した、スタートアップ的な判断です。

    S500、S600、S800への系譜

    SPORTS 360が切り拓いた道は、そのままホンダの四輪スポーツカーの系譜へと繋がります。S500は1963年に市販され、ホンダ初の量産四輪車となりました。続くS600は1964年に登場し、国内外で高い評価を獲得。さらにS800へと排気量を拡大しながら、ホンダは「小さくて速いスポーツカーを作るメーカー」というイメージを確立していきます。

    この系譜の起点にあるのがSPORTS 360です。小排気量DOHCエンジン、軽量ボディ、オープン2シーターという構成。ホンダが四輪で何をやりたかったのかは、すべてこの1台に凝縮されていました。

    さらに長い目で見れば、この「高回転・高出力の小排気量エンジンをスポーツカーに載せる」という思想は、ビートやS2000にまで通じるホンダの遺伝子です。SPORTS 360はその最初の発現でした。

    市販されなかった車が持つ意味

    SPORTS 360は1台も一般ユーザーの手に渡っていません。カタログスペックも量産仕様として確定していない。にもかかわらず、ホンダの四輪史を語るときにこの車の名前が必ず出てくるのは、それが単なるコンセプトカーではなく、実際に走る状態で完成していたプロトタイプだったからです。

    ショーモデルとして飾られただけの張りぼてではなく、エンジンが回り、走行できる実車として存在した。だからこそS500への発展が半年という短期間で実現できた。SPORTS 360は「作りかけの夢」ではなく、「完成した出発点」だったと言えます。

    市販されなかったことで、この車は商品としての評価を受ける機会を永遠に失いました。

    けれどその代わりに、ホンダが四輪メーカーとして歩み始めた瞬間の純粋な意志を、そのまま封じ込めた存在として残り続けています。

    売れたかどうかではなく、何を目指していたかが見える。

    それがSPORTS 360という車の、唯一無二の価値です。

  • シビックタイプR(EP3)の中古車は買い?【タイプR一族の異端児は、今こそ狙い目かもしれない】

    歴代シビックタイプRのなかで、EP3はずっと日陰の存在でした。

    同時期のDC5インテグラタイプRに人気を持っていかれ、イギリス生産という出自も「本物のタイプRなのか」という疑念を招きました。

    でも、あの8,000回転まで淀みなく吹け上がるK20Aと、インパネから生えた6速シフトのクイックな操作感は、触れた人にしかわからない中毒性があります。

    そんなEP3に今、惹かれている人がいるとすれば、正直それはかなり筋のいい選択だと思います。

    ただし、この車には「知らずに買うと痛い目を見る」ポイントがいくつか確実にあります。ここから先は、その現実を正直に整理していきます。

    まず警戒すべきは「部品が手に入らない」という現実

    EP3を中古で買ううえで、最初に知っておくべきことがあります。それは、壊れたときに直せるかどうかが、他のホンダ車とはまるで違うということです。

    このクルマ、日本国内での販売台数は5,000台に届きません。

    しかもイギリスのスウィンドン工場で生産された逆輸入車です。

    ドア、バンパー、ヘッドライト、フェンダー、ドアミラーといった外装部品の中古品は、市場にほとんど流通していません。タイプRという希少車ゆえに、事故車や廃車が出てもショップが車両ごと引き取ってしまうことが多く、部品単体ではまず見つからないのが実情です。

    とくに注意したいのがリアゲートです。

    ハッチバック特有の大きな一枚パネルで、リアバンパーも薄い設計のため、後ろからの軽い追突でもゲートまでダメージが及びやすい構造になっています。

    ここを壊すと、代替パーツの入手がきわめて困難で、修理費が車両価格に迫ることすらあり得ます。

    新品パーツもメーカーで生産終了になっているものが増えています。

    エアコン関連部品でディーラーに持ち込んでも「部品がないので修理できない」と断られた事例も出ています。

    EP3を買うということは、この部品事情を受け入れるということです。外装にダメージのない個体を選ぶことが、他のどの車種よりも重要になります。

    頻出する不具合と、地味に嫌なトラブル

    EP3で最も報告が多いトラブルのひとつが、エアコンのコンプレッサーです。

    経年劣化による焼き付きや異音が春から秋にかけて集中的に発生します。コンプレッサーが壊れるとエアコンが完全に効かなくなるだけでなく、ひどい場合にはアイドリング時にエンジンが止まるという症状まで出ます。

    修理にはコンプレッサー本体だけでなく、エキスパンションバルブやコンデンサーの交換、配管の洗浄まで必要になることがあり、費用は10万円を軽く超えます。

    しかもFF車でエンジンルームに余裕がないため、フロントバンパーやラジエターを外さないとコンプレッサーにアクセスできず、工賃もかさみます。

    真夏にエアコンが死ぬのは精神的にも相当きついので、購入前にエアコンの動作確認は必須です。

    次に気をつけたいのが、前期型のオイル消費問題です。

    K20AのR-specエンジンは本来タフなユニットですが、前期型ではサーキット走行レベルの高速コーナリング時にオイルパン内のオイルが偏り、オイルストレーナーがオイルを吸えなくなるという構造的な弱点がありました。

    後期型ではストレーナーの位置変更などの対策が施されていますが、後期型は約1,000台しか売れておらず、流通量がきわめて少ないのが現実です。

    前期型を選ぶ場合は、オイル管理の履歴が特に重要になります。

    できればオイルフィラーキャップを外してエンジン内部を覗き、スラッジ(黒い汚れ)が溜まっていないかを確認してあげてください。距離が少なくても内部が汚れている個体は、オイル交換をサボっていた可能性が高いです。

    補機類では、ベルトのアイドラプーリーとテンショナーのベアリング劣化にも注意が必要です。

    エンジンから「ゴー」という大きな雑音が出始めたら、プーリーのベアリングが焼き付きかけているサインです。放置するとベルト切れに至り、走行不能になります。エンジンをかけたときに異音がないか、耳を澄ませて確認してください。

    SRSエアバッグの警告灯が点灯するという報告も散見されます。

    シート下のコネクターの接触不良が原因であることが多く、コネクターを抜き差しするだけで直る場合もありますが、警告灯が点いたままでは車検に通りません。小さなことですが、中古車としての印象を確実に悪くするポイントです。

    リアのテールランプ内部に結露や浸水が見られるという声もあります。

    走行に直接影響はないものの、見た目の印象が悪く、放置すると電球の接触不良にもつながります。現車確認の際、テールランプの内側が曇っていないかもチェックしておきたいところです。

    逆に、ここはかなり強い

    弱点ばかり並べてきましたが、EP3には安心材料もしっかりあります。

    まず、心臓部であるK20Aエンジンそのものは、オイル管理さえまともなら非常にタフです。15万km走ってもエンジン内部がきれいな個体が存在するほどで、ホンダの高回転NAエンジンとしての基本設計の良さは折り紙つきです。

    6速ミッションの信頼性も高い部類に入ります。クロスレシオのギアは入りが良く、シフトフィーリングの評価はオーナーの間でも極めて高いです。

    インパネシフトという独特のレイアウトに抵抗を感じる人もいますが、実際に操作すると「ステアリングから近くてクイック」という利点が体感できます。

    レカロ製バケットシートMOMO製ステアリングは、タイプR伝統の装備です。ホールド性が高く、長距離でも疲れにくいシートは、20年以上経った今でも十分に機能します。ヘタリが少ない個体であれば、これだけで購入動機になるレベルです。

    意外なところでは、実用性の高さも強みです。

    フラットフロアの採用で後席の足元は広く、リアシートを倒せばタイヤ1セットが積めるほどのラゲッジスペースが確保されています。3ドアハッチバックのタイプRでありながら、4人乗車で荷物を積んで長距離ドライブに出られる実用性は、EK9にはなかった美点です。

    燃費も2リッターのハイオク仕様としては優秀で、街乗りで11〜12km/L程度が期待できます。クロスレシオゆえに低回転で流すと速度が出にくい反面、回さなければ意外と燃料を食わないという性格です。

    現車確認で見るべきポイント

    EP3の中古車を見に行くとき、まず確認すべきは外装のダメージの有無です。

    前述のとおり、外装パーツの入手が極端に困難なので、バンパー、フェンダー、リアゲートに補修痕や歪みがないかを入念にチェックしてください。

    修復歴ありの個体は、リアゲート周辺の板金状態を特に注意深く見る必要があります。

    エンジンは、まず冷間時に始動してアイドリングの安定性を確認します。異音がないか、排気に白煙が混じっていないか。オイルフィラーキャップを開けて内部の汚れ具合を見ることも忘れないでください。

    エアコンは実際にオンにして、冷風がしっかり出るか、コンプレッサーから異音がしないかを確認します。エアコンをオンにした状態でアイドリングが不安定にならないかも重要なチェック項目です。

    前期型か後期型かの確認も大切です。外観ではバンパー形状とヘッドライトの意匠が異なります。後期型はイモビライザーが標準装備され、オイル消費の対策も施されています。ただし後期型の流通量は極めて少ないため、前期型を選ぶ場合はオイル管理の履歴をより重視する必要があります。

    社外パーツへの交換状況も見ておきましょう。

    EP3はワンメイクレースが行われていなかったこともあり、ゴリゴリにチューニングされた個体は比較的少ないとされています。

    逆に言えば、ノーマルに近い状態の個体が見つかりやすいのはEP3の利点です。

    マフラー、エアクリーナー、車高調などが交換されている場合は、その理由と整備状態を確認できれば最高です。

    この車に手を出してよい人、やめた方がよい人

    EP3が向いているのは、「タイプRの名前やブランドではなく、運転そのものの気持ちよさに価値を感じる人」です。8,000回転まで回るNAエンジンの快感、クイックな6速インパネシフト、軽快なハッチバックの身のこなし。この三拍子が揃ったクルマは、もう新車では手に入りません。

    部品の入手難を理解したうえで、外装をぶつけない自信がある人。あるいは、多少の修理費を覚悟できる人。そういう人にとっては、EK9やFD2よりもはるかに手が届きやすい価格で「本物のタイプR体験」ができる、非常にコスパの高い選択肢です。

    一方で、やめた方がよいのは、「壊れたらすぐディーラーに持ち込んで直してもらいたい」という人です。

    部品の廃番が進んでおり、ディーラーでは対応できないケースが増えています。EP3に強いショップや、リビルト部品のルートを自分で探す覚悟がない人には、正直おすすめしにくいです。

    また、サーキット走行を前提に考えている人も注意が必要です。

    前期型のオイル消費問題に加え、リアサスペンションのストロークが短い設計のため、車高調を入れると乗り心地が極端に悪化しやすいという特性があります。

    ノーマルの足回りで街乗りとワインディングを楽しむ、という使い方が最もEP3の良さを引き出せるスタイルです。

    結局、EP3は買いなのか

    結論から言えば、条件付きで買いです。

    EP3は、歴代タイプRのなかで最も過小評価されてきた一台です。EK9のようなカリスマ性もなければ、FD2のような戦闘力もない。

    でも、K20Aの回転フィールとインパネ6速シフトの組み合わせは、運転する楽しさという一点において、他のどのタイプRにも負けていません。

    最大のリスクは部品供給です。外装をぶつけたら終わり、エアコンが壊れたら高額修理。

    この現実を受け入れられるかどうかが、EP3を買うかどうかの分水嶺になります。

    価格面では、EK9やFD2がプレミア化して300万〜400万円超の世界に行ってしまったのに対し、EP3はまだ100万円台から手が届きます。

    高回転NAのVTECを味わえるタイプRとしては、最後の「現実的な価格帯」にいる車です。

    ただ、この価格がいつまで続くかはわかりません。

    現存台数は確実に減っており、再評価の波はすでに始まっています。「いつか乗りたい」ではなく、「今、程度の良い個体があるなら動く」。

    EP3に関しては、そういうタイミングに来ていると言えるでしょう。

    早く買わないと無くなっちゃいますよ…!

  • レビン/トレノ – AE92 【FFになった日、伝説が分岐した】

    レビン/トレノ – AE92 【FFになった日、伝説が分岐した】

    AE86の次がFFになる——。

    1987年、そのニュースはある種の衝撃をもって受け止められました。ハチロクという圧倒的なアイコンの直後に登場したAE92型カローラレビン/スプリンタートレノは、駆動方式の転換という決断を背負った世代です。

    「裏切り」と見るか「進化」と見るか。

    その評価は、30年以上経った今もきれいには割り切れません。ただ、当時のトヨタがなぜその選択をしたのか、そしてAE92が実際にどんなクルマだったのかを丁寧に見ていくと、単純な「FRを捨てた失敗作」という語りでは収まらない姿が浮かんできます。

    FRを捨てた理由

    まず前提として、AE86がFRだったこと自体がすでに例外的だったという事実があります。1983年にAE86が登場した時点で、カローラ本体はすでにFF化(E80系)を済ませていました。つまりAE86は、カローラのプラットフォームがFFに移行するなかで、レビン/トレノだけが旧世代のFRシャシーを使い続けたモデルだったわけです。

    あの時点でFRだったのは「あえて残した」というより、「スポーツモデルにはまだFRが必要」という判断と、タイミング的にFR用シャシーがまだ使えたという事情の合流でした。要するに、AE86のFRは確信犯的な設計思想というよりも、過渡期の産物という面があったのです。

    AE92の世代になると、もはやFR用のシャシーを維持する合理性がなくなっていました。カローラ系のプラットフォームは完全にFF前提で設計されており、レビン/トレノだけのためにFRシャシーを残すのは、コスト的にも生産ライン的にも現実的ではありません。

    加えて、1980年代後半はFF車の走行性能が急速に向上していた時代です。サスペンション設計やタイヤの進化によって、FFでも十分にスポーティな走りが成立するようになっていました。トヨタとしては、「FFでもスポーツカーは作れる」という確信があったはずです。少なくとも、カタログスペックと商品性の両面で、FFの方が合理的だという判断は十分に成り立つ状況でした。

    4A-GEの第二章

    AE92の心臓部は、AE86から引き続き搭載された4A-GE型エンジンです。ただし、中身は大幅にアップデートされています。AE86時代の4A-GEが1,587ccで130馬力だったのに対し、AE92に搭載されたのはハイメカツインカムと呼ばれる新設計のヘッド構造を持つ進化版でした。

    特に注目すべきは、1989年のマイナーチェンジで追加されたスーパーチャージャー付き4A-GZEです。過給によって165馬力を発生するこのエンジンは、1.6リッタークラスとしては当時かなりの高出力でした。AE86が自然吸気の気持ちよさで勝負したのに対して、AE92はスーパーチャージャーという飛び道具を手にしたことになります。

    スーパーチャージャーを選んだのにはFFとの相性もあります。ターボに比べて低回転域からトルクが立ち上がるスーパーチャージャーは、前輪駆動との組み合わせでトラクションを稼ぎやすい。つまり、FFであることを前提にしたパワートレインの最適化が、ちゃんと行われていたわけです。

    自然吸気の4A-GEも、AE86時代から比べれば確実に洗練されていました。レスポンスや回転フィールの良さは健在で、日常域での扱いやすさは明らかに向上しています。「回して楽しい4A-GE」というキャラクターは、AE92でもしっかり受け継がれていました。

    シャシーと走りの質

    AE92のサスペンション形式は、フロントがストラット、リアも同じくストラットという構成です。AE86のリアがリジッドアクスル(4リンク)だったことを考えると、足回りの設計思想はまったく別物になっています。

    4輪独立懸架になったことで、乗り心地と路面追従性は明確に向上しました。高速域での安定感もAE86とは比較にならないレベルです。まあ、これは当然といえば当然で、設計年次が4年新しく、プラットフォームの基本骨格がまるごと変わっているのですから。

    ただ、ここがAE92の評価が割れるポイントでもあります。FR+リジッドアクスルという構成だったAE86は、リアの挙動が掴みやすく、ドライバーが意図的にテールを流すような操作がしやすかった。一方、AE92のFFシャシーは基本的にアンダーステア傾向で、AE86的な「振り回す楽しさ」とは性質が異なります。

    これを「つまらなくなった」と感じた層がいたのは事実です。しかし、当時のモータースポーツシーンではAE92はグループAレースで活躍し、FFならではの速さを見せました。楽しさの質が変わった、というのがフェアな表現でしょう。

    デザインとキャラクターの分化

    AE92世代でも、レビンとトレノの差別化はきちんと行われていました。レビンが固定式ヘッドライトを採用したのに対し、トレノはリトラクタブルヘッドライトを継続。この違いは見た目の印象をかなり変えていて、トレノの方がよりスポーティでシャープな顔つきに見えます。

    ボディ全体のフォルムは、AE86の角張ったデザインから一転して、丸みを帯びた流線型になりました。1980年代後半の空力意識の高まりを反映した形状で、Cd値(空気抵抗係数)の低減が意識されています。好みは分かれるところですが、時代の空気を正直に映したデザインではあります。

    車体サイズはAE86から若干拡大し、車重も増加しました。FFレイアウトによる室内空間の効率化は進んだものの、軽さという点ではAE86に及びません。AE86の車重が約940kgだったのに対し、AE92は約1,050〜1,100kg程度。この差は、走りの軽快感に確実に影響しています。

    売れたけど、語られなかった

    商業的に見れば、AE92は成功したモデルです。販売台数はAE86を上回り、一般ユーザーからの評価も悪くありませんでした。スーパーチャージャーモデルの追加もあって、スポーティなコンパクトカーとしての訴求力は十分にあったのです。

    それでもAE92が「名車」として語られる頻度がAE86に比べて圧倒的に低いのは、やはり駆動方式の転換が大きい。AE86は「最後のFRレビン/トレノ」という物語性を持っており、その後のドリフト文化やチューニング文化との結びつきが強烈でした。AE92にはそうした「物語の磁力」が弱かったのです。

    ただ、これはAE92の罪ではありません。むしろ、AE86の神話が強すぎたというべきでしょう。冷静に見れば、AE92は同時代のFFスポーツとして十分に高い完成度を持っていました。ホンダのEF型シビック/CR-Xと並んで、1.6リッターFFスポーツの水準を引き上げた1台です。

    系譜の中のAE92

    AE92の後には、AE101、AE111と世代が続きます。AE101では可変バルブタイミング機構を備えた4A-GE(通称シルバーヘッド)が登場し、AE111では名機と呼ばれる4A-GE 20バルブが搭載されました。こうした4A-GEの進化の系譜を考えると、AE92はFRからFFへの転換点であると同時に、エンジン進化の中継地点でもあったことがわかります。

    スーパーチャージャーという選択肢はAE92限りで終わり、後継モデルでは自然吸気の高回転路線に回帰しました。この意味でも、AE92は「いろいろ試した世代」という性格が強い。FFスポーツとしての方向性を模索し、過給という手段まで試みた実験的なモデルだったと言えます。

    レビン/トレノという車名自体が消滅するのは、AE111の後のことです。AE92は、その長い系譜の中で最も大きな転換を担った世代でした。FRからFFへ、リジッドから4独へ、自然吸気からスーパーチャージャーへ。変化の量だけで言えば、歴代レビン/トレノの中で最も多くのものを一度に変えたモデルです。

    だからこそ、評価が難しい。変えすぎたのか、変えるべくして変えたのか。答えは立場によって変わります。ただ一つ言えるのは、AE92がなければ、AE101もAE111も存在しなかったということです。FFレビン/トレノという新しい道を最初に切り拓いたのは、このクルマでした。その功績は、もう少し正当に評価されてもいいのではないかと思います。

  • ランサーエボリューションX – CZ4A 【エボというアイデンティティの最終形態】

    ランサーエボリューションX – CZ4A 【エボというアイデンティティの最終形態】

    エボXは、これまでのランエボとは少し意味が違います。

    エボVIIが新世代シャシーへの転換、エボVIIとIXがその熟成だったとすれば、エボXは土台そのものを一度壊して作り直したモデルです。

    三菱公式も、2007年10月発売のランサーエボリューションXについて「プラットフォーム、エンジン、デザインなど全てを一新」と説明しています。

    ここでいちばん大きいのは、やはりいつもの4G63を降ろしたことでしょう。

    初代から積み続けてきたランエボの象徴を捨て、新開発の2.0L MIVECターボへ切り替えた。しかもただ新しくしただけではありません。

    アルミブロック化、後方排気レイアウト、重量バランスの見直しまで含めて、エボXは「昔ながらの武闘派ランエボ」を現代的に再構成した一台でした。

    もう荒いラリーセダンのままではいかない

    エボXの開発で見えてくるのは、三菱がランエボの価値を少し変えようとしていたことです。

    webCGが伝えた開発関係者の証言では、エボXでは従来のように「筑波でどれだけ速いか」を指標にせず、「大人が十分に楽しめる乗り味」を目指したと言います。

    つまりエボ10は、ただサーキットで尖っていればいいクルマではなく、高性能4WDセダンとしての質感や安定感まで求めていました。

    そのために車体は大きくなり、キャラクターも変わります。

    従来のランエボよりズッシリ系になったと言われることも多いですが、それは単なる肥大化ではありません。高剛性ボディ、高剛性サスペンション、新世代4WD制御を使って、速さをより大きな器で成立させようとした結果でした。

    三菱公式も、高剛性ボディと高剛性サスペンションによって高い走行性能を実現したと位置づけています。

    「暴力的な速さ」ではなく「誰でも引き出せる速さ」

    エボX最大の武器は、S-AWCだった。

    従来のAWCをさらに進め、ACD、AYC、ASC、ABSを統合制御することで、旋回性と安定性をまとめて引き上げました。

    Responseの記事では、AYCにブレーキ制御を加えたことで、進入で車両の向きを変える場面でエボIX以上にドライバーの意思へ忠実に動くと開発責任者の藤井啓史氏が説明しています。

    社内テストコースでは、S-AWC装着車の方が1.5秒速かったというコメントまで出ていたそうです。

    昔のランエボのような「気合でねじ伏せる四駆」ではなく、制御の力でより深く、より自然に曲げていく。

    速い人だけが速いクルマではなく、乗り手のレベルを問わず高いところまで引き上げる。エボXはその方向へ、かなり大きく舵を切ったのです。

    時代に合わせて作り直した新しい心臓

    エボXの新しい2.0Lターボは、ギャランフォルティス系の4気筒をベースにしながら、実際には共通部品がウォーターポンプ程度しかない「ほぼ専用エンジン」だったと、エンジン開発担当の加藤佳彦氏は語っています。

    アルミダイカストブロックだけで約12kg軽くし、後方排気レイアウトで吸排気と前後重量配分も最適化。さらにターボのレスポンスも高めていました。

    この新エンジンの凄さは、数字の派手さよりフィーリングにあります。

    Responseでも、4G63より吹け上がりが軽く、3000〜4000rpm付近のトルク感とレスポンスが明確に向上していると伝えられています。

    車重は増えたのに、重さを感じさせにくい。エボXはここで、「昔のターボ四駆の迫力」より「現代的な速さの気持ちよさ」を取ってき他のです。

    「2ペダルのランエボ」を本気で成立させた

    エボXを語るなら、ツインクラッチSSTも外せません。

    三菱公式はこれを「新開発の高効率トランスミッション」と位置づけ、6速自動マニュアルに2つのクラッチを組み合わせることで、素早い変速と高効率な動力伝達を両立したとしています。

    さらに開発担当の一樂浩氏は、基本メカニズムはDSG系と共通しつつも、ランエボの高トルクに対応するためクラッチ配列などに三菱独自の変更を加えたと説明しています。

    一方でMTも残されました。

    しかも先代の6速ではなく、新設計の5速MTにしました。藤井氏は、エボXではSSTを一般ユーザー向けの主役とし、MTはラリーなど競技ベース用途のユーザーへ向けた設定だと語っています。

    つまりエボXは、走りの裾野を広げつつ、本気で戦うための武器もちゃんと残した。そこが単なるハイテク化では終わりません。

    最後のランエボは、異質だが現代的

    エボXは、昔ながらのランエボ像だけで見ると異質に映るでしょう。

    大きいし、重いし、制御も濃い。4G63もない。だから「最後にして別物」と言われるのもわかります。

    それでも実際には、ランエボがずっとやってきた「4WDで速く走る」を、その時代の技術、規制、あらゆる事情のもとで全力で更新したのがエボXでした。

    荒々しい競技ベースの延長ではなく、誰もが高い次元の走りを楽しめる高性能4WDセダンへ。

    そこに向けて、プラットフォームも、エンジンも、制御も、変速機も全部作り直した。エボを少しでも生き残らせるために。

    だからエボXは、4G63時代の終わりであると同時に、ランエボという名前が最も広い意味で完成した一台だったのです。

  • ランサーエボリューションIX – CT9A 【4G63を最後まで研ぎ澄ました、一つの到達点】

    ランサーエボリューションIX – CT9A 【4G63を最後まで研ぎ澄ました、一つの到達点】

    エボVIIが世代交代、エボVIIIが制御の深化だとすれば、エボIXはその全部をまとめ上げたモデルでした。

    2005年3月に登場したランサーエボリューションIXは、シリーズ初となるMIVECを4G63ターボに与え、ターボチャージャーも見直し、空力と冷却もさらに詰め直しました。

    三菱公式も、MIVEC採用とターボ改良による全域性能の向上、そして新しいバンパーや大型リアスポイラーによる冷却・空力性能の改善を進化点として挙げています。

    エボIXの凄さは、派手な革命ではないことです。

    むしろ「もう完成している」と思われていたCT9A世代を、エンジンの質感と扱いやすさまで含めて、さらに一段磨いてきたところにあります。

    だからエボIXは、エボVIIIの発展版に見えて、実際には「熟成のピーク」と呼ぶほうが近のです。

    4G63を搭載する最後のランエボ

    エボ9の開発で最大のテーマだったのは、やはり4G63の進化です。

    吸気側にMIVECを採用し、さらにターボチャージャーも改良。最高出力280psは据え置きながら、最大トルクの発生回転数はGSRで3500rpmから3000rpmへ下がり、より低い回転から力が立ち上がるようになりました。

    Responseも、エボ9の最大の進化はレスポンスと扱いやすさに磨きがかかったエンジンだと伝えています。

    しかも、足まわりや4WD制御はゼロから作り直したわけではありません。

    開発を取りまとめた藤井啓史氏は、エボ8 MRに採用された足まわりや4WDシステムの多くは、もともとエボ9用に開発されたものを先行投入したと説明しています。

    つまりエボ9は、エボ8 MRで先に見せた完成度を前提にしつつ、その上でエンジンと細部のセットアップを煮詰めたモデルだったのです。  

    「絶対的な速さ」より「どこからでも使える速さ

    エボIXの本質は、全域で速いことにあります。

    MIVEC化によって低回転から高回転までのつながりが良くなり、ターボの見直しと合わせてレスポンスも向上。三菱公式も「エンジン性能を全域で高性能化」と表現していて、ここがまさにエボ9の核でした。

    ピークパワーを盛ったというより、どの回転域でも踏みやすく、使いやすく、しかも速い。そこがエボIXの強みです。

    シャシーも抜かりない。

    藤井氏によれば、エボ9ではダンパーとスプリングのセッティングを微修正し、リア車高を5mm下げることで接地感を高め、スーパーAYCの効果をさらに引き出したらしいです。

    大改造ではない。でもこういう地味な詰めが、エボ9の“崩れにくさ”を作っている。熟成型らしい進化です。

    GSRはACD+スーパーAYC+スポーツABSと6速MTの組み合わせで、舗装路での総合性能を追求。いっぽうRSは軽量ボディに5速MT、ACD+機械式リアLSDという競技寄りの構成を採り、GTはGSRの快適性とRSの駆動系を合わせ持つ新グレードとして設定されました。

    要するにエボIXは、速さの中身まで選べる世代になったのです。  

    開発側も「エンジンの仕上がり」を一番の見どころに

    エボIXについては、開発側のコメントがかなりわかりやすいです。

    Responseのプロトタイプ記事では、MIVEC化について「これまでの4G63のネガを消し込んでいくためのもの」といった趣旨で紹介され、量産モデルの記事でもエンジンのレスポンスと扱いやすさの向上が最大の進化点として語られています。

    つまり開発陣自身、エボ9を「数値以上に乗ってわかる進化」として作っていたのです。

    また、GSRの位置づけについて藤井氏は、ランエボの走りを最大限に楽しむならスーパーAYC付きのGSRが最適だと述べています。

    エボ9はRSのような競技ベースの尖りを残しつつ、メーカー自身はGSRを“最も総合力が高い仕様”として提示していました。

    つまり最後の4G63ランエボは、ただ硬派なだけでなく、完成度で勝負する段階まで来ていたわけです。

    4G63ランエボが最後に辿り着いた、完成のかたち

    エボ9は、ランエボの歴史の中でもかなり特別です。

    シリーズ初のMIVECを得た4G63、さらに磨かれたターボレスポンス、空力と冷却の改善、煮詰められたシャシー。どれも単独では地味に見えるかもしれないが、全部が「より自然に、より深く、より速く」へ向いている。だからエボ9は、派手さより質で評価されます。

    そして何より、エボ9は4G63を積む第三世代ランエボの最終到達点でした。

    後に一旦IX MRまで進むとはいえ、エボIXの時点ですでに「4G63ランエボはここまで来たか」という完成感があります。荒々しいターボ四駆のまま、扱いやすさと精度まで手に入れた。

    エボIXとは、ランエボが最後に見せた4G63時代の完成形なのです。  

  • マーチ – K13【タイで生まれた日産の賭け】

    マーチ – K13【タイで生まれた日産の賭け】

    歴代マーチの中で、最も評価が割れたモデルはどれか。

    おそらく多くの人が、この4代目・K13を挙げるでしょう。

    2010年に登場したこのクルマは、日産のグローバル戦略を象徴する存在でした。

    ただしその「象徴」は、称賛だけでなく、失望や戸惑いも含んでいます。

    先代が残したもの

    3代目マーチ、K12型は国内外で高く評価されたモデルでした。

    丸みを帯びたデザインは欧州でも受け入れられ、日本国内では「おしゃれなコンパクト」というポジションを確立しています。追浜工場で生産される品質への信頼も厚く、マーチというブランドの価値を一段引き上げた世代だったと言えます。

    ただ、その成功の裏で日産が直面していた課題は明確でした。

    コンパクトカーは利幅が薄い。

    国内生産を続ける限り、新興国市場での価格競争力は出せない。カルロス・ゴーン体制下の日産は、この構造問題に正面から答えを出そうとしました。

    タイ生産という決断

    K13型マーチの最大の特徴は、日本向けモデルをタイで生産し逆輸入するという枠組みを採用したことです。

    日産はこの決断を「グローバルコンパクトカー戦略」の柱として位置づけました。Vプラットフォームと呼ばれる新しい車台を開発し、マーチだけでなくノートやラティオなど複数車種への展開を見据えた設計です。

    狙いは明快でした。新興国で大量に売れるクルマを、新興国で作る。そのスケールメリットで原価を下げ、先進国市場にも供給する。理屈としては合理的です。実際、タイ工場の品質管理には相当な投資が行われたと言われています。

    しかし、日本のユーザーにとって「マーチが日本製ではなくなった」というインパクトは大きかった。これは感情の問題だけではありません。実際に乗ったときの質感が、先代K12と比較して後退したと感じる人が少なくなかったのです。

    エンジンと走りの変化

    パワートレインも一新されました。

    K13に搭載されたのはHR12DE型、1.2リッター3気筒エンジンです。先代のCR14DE(1.4L 4気筒)やCR12DE(1.2L 4気筒)から、気筒数がひとつ減っています。これはコストと燃費の両面を狙った判断でした。

    3気筒エンジンは今でこそ珍しくありませんが、2010年当時の日本市場では「格落ち」と受け取られやすい選択でした。

    実際、振動や音の面で4気筒に劣る部分はあり、特にアイドリング時の微振動を気にする声は多く聞かれました。最高出力79PS、最大トルク106N・mというスペック自体は日常使いに不足ないものの、数字以上に「回して楽しい」感覚が薄れたという評価が目立ちます。

    トランスミッションは副変速機付きCVTを採用。

    燃費性能ではJC08モードで最大26.0km/L(後に改良で更に向上)を達成しており、この点は当時のライバルであるフィットやヴィッツと十分に戦える数値でした。

    ただ、CVT特有のラバーバンドフィールが走りの印象をさらに薄味にしていた面は否めません。

    デザインと室内の評価

    エクステリアデザインは、先代の個性的な丸さから一転して、ややおとなしい造形になりました。グローバル展開を前提にしたデザインは、どの市場でも受け入れられる反面、どの市場でも強く刺さらないという両刃の剣です。日本市場では「没個性」と言われることもありました。

    インテリアの質感については、率直に言って厳しい評価が多かった部分です。ダッシュボードやドアトリムの樹脂パーツは硬質で、触ったときの感触が先代より明らかにコストダウンを感じさせるものでした。「100万円を切る価格設定」を実現するためのトレードオフだったとはいえ、K12の質感を知るユーザーには落差が大きかったのです。

    一方で、室内空間そのものは先代より広くなっています。ホイールベースの延長により後席の足元にはゆとりが生まれ、ラゲッジスペースも実用的な容量を確保しました。「道具としての実力」は確実に上がっていた。ただ、それが評価に直結しなかったのは、コンパクトカーに求められる価値が「合理性」だけではなかったことを示しています。

    市場での現実

    K13マーチの国内販売は、発売直後こそ月販1万台を超える好調なスタートを切りました。価格の安さは確かに武器でした。エントリーグレードで100万円を切る設定は、当時の登録車としては破格です。

    しかし、販売は徐々に失速します。最大の要因は、同じ日産のノート(E12型、2012年登場)に顧客を奪われたことでしょう。e-POWER登場前のノートですら、マーチより一回り大きく、質感も上で、価格差はそこまで大きくなかった。マーチを選ぶ積極的な理由が薄れていったのです。

    さらに、軽自動車の高性能化・高品質化も逆風でした。N-BOXやタントといった軽スーパーハイトワゴンが室内空間で圧倒し、デイズのような日産自身の軽自動車も商品力を高めていく。「安いコンパクト」というポジションは、上からも下からも挟撃される形になりました。

    グローバルでは事情が異なります。新興国市場ではマイクラ(マーチの海外名)として堅調に販売され、日産の戦略自体が失敗だったわけではありません。ただ、日本市場に限って言えば、K13は「日本のユーザーが求めるもの」と「グローバル最適化」のギャップを露呈したモデルでした。

    長すぎたモデルライフ

    K13マーチは2010年から2022年まで、実に12年間販売されました。途中でマイナーチェンジや特別仕様車の投入はあったものの、基本設計は大きく変わっていません。これは日産がマーチの後継モデルを日本市場に投入しなかったことを意味します。

    欧州では2016年に5代目マイクラ(K14型)が登場し、ルノー・クリオのプラットフォームを使った意欲的なモデルに生まれ変わりました。しかし、このK14は日本には導入されませんでした。日産の日本市場戦略の中で、マーチというセグメントの優先度が下がっていたことは明白です。

    結果として、K13は晩年になるほど商品力の陳腐化が進み、販売台数は月に数百台レベルまで落ち込みました。2022年の販売終了をもって、日本市場における「マーチ」という名前の歴史は、少なくとも一度途切れることになります。

    K13が問いかけたもの

    K13マーチを「失敗作」と切り捨てるのは簡単です。しかし、このクルマが突きつけた問いは、日産だけでなく日本の自動車産業全体にとって本質的なものでした。コンパクトカーをグローバルで最適化したとき、日本市場の期待値とどう折り合いをつけるのか。コストを下げることと、ブランドの信頼を維持することは両立するのか。

    初代K10から続いてきたマーチの系譜は、「小さくても楽しい、小さくても上質」という価値観を積み重ねてきました。K13はその蓄積を、グローバル戦略という大きな力学の中で手放さざるを得なかったモデルだったと言えます。

    それでも、K13が担った役割を無視することはできません。このクルマがなければ、日産のグローバルコンパクト戦略は成立しなかった。新興国での販売網拡大も、Vプラットフォームの知見蓄積も、このモデルが起点です。

    日本市場では報われなかったけれど、日産という企業の生存戦略の中では確かに意味があった。

    K13マーチは、そういうクルマです。

  • レビン/トレノ – AE101 【名前は同じでも、もう86じゃない】

    レビン/トレノ – AE101 【名前は同じでも、もう86じゃない】

    AE86の正統後継──と呼ぶべきかどうか、いまだに意見が割れる1台です。

    型式こそ「AE」の系譜を引き継ぎ、エンジンも4A-GEの名を冠していますが、駆動方式はFF。ボディもプラットフォームもまるで違います。

    それでもこの車には、トヨタが1990年代前半に出せた「スポーティコンパクトの最適解」がきちんと詰まっていました。

    AE101型レビン/トレノとは何だったのか。名前の連続性と中身の断絶、その両方を見ていきます。

    FRを捨てた理由

    AE86が1983年に登場したとき、すでにカローラ本体はFF化を済ませていました。86はいわば「旧世代のFRシャシーにDOHCエンジンを載せた最後の一台」であり、設計思想としてはむしろ例外的な存在だったわけです。つまり、FFへの移行はAE92(1987年)の時点で既定路線でした。

    AE101が登場した1991年、トヨタにとってFRのコンパクトスポーツを維持する理由はほぼありませんでした。コスト、室内空間、生産効率、すべてがFF有利。MR2やスープラといった専用スポーツカーが別に存在する以上、カローラ派生のクーペにFRを残す商品企画上の根拠が立たなかったのです。

    これは「トヨタがスポーツを捨てた」という話ではありません。むしろ逆で、FFという制約の中でどこまでスポーティに仕立てられるかに本気で取り組んだ結果が、AE101でした。

    4A-GEの到達点、20バルブ

    AE101最大のトピックは、エンジンです。搭載された4A-GE 20バルブ──1気筒あたり吸気3・排気2の5バルブ構成を採用した1.6L直4は、自然吸気で160ps/7,400rpmを発生しました。リッターあたり100psという数字は、当時の1.6Lクラスとしては突出しています。

    5バルブという構成は、ヤマハが開発に深く関わったことで実現しています。吸気バルブを3つに増やすことで低中速のトルクを犠牲にしすぎずに高回転域の充填効率を稼ぐ、という狙いでした。実際、このエンジンはレッドゾーンの手前まで気持ちよく回る特性を持っており、回して楽しいユニットとして高く評価されています。

    ただし、5バルブの恩恵を体感するには相応に回す必要がありました。街乗り領域ではごく普通の1.6Lであり、高回転まで引っ張って初めて「ああ、これか」と分かるタイプのエンジンです。ここが好みの分かれるところでもありました。

    なお、廉価グレードには4A-FEも用意されていましたが、AE101を語る文脈では基本的に4A-GE搭載車が主役です。スーパーチャージャー付きの4A-GZEが先代AE92にはありましたが、AE101では廃止されています。過給に頼らず、NAの高回転で勝負する方向にトヨタは舵を切ったわけです。

    シャシーとボディの性格

    プラットフォームはE100系カローラと共有。ホイールベースは2,465mmで、先代AE92から若干拡大されています。ストラット式のフロントとリアの足回りは、スポーツカー専用設計ではなくカローラベースの延長線上にありますが、BZ-Gなどのスポーツグレードではサスペンションのチューニングが明確に引き締められていました。

    ボディは先代よりやや大きく、やや重くなっています。車重は4A-GE搭載のMT車で約1,080〜1,100kg程度。AE86の約940kgと比べれば明らかに重い。ただしこれは装備の充実や衝突安全性の向上、ボディ剛性の確保といった時代の要請によるもので、AE101だけが特別に重かったわけではありません。

    レビンは固定式ヘッドライト、トレノはリトラクタブルヘッドライト、という外観上の差別化は先代から踏襲されています。ただし、このAE101がトレノとしてリトラを採用した最後の世代になりました。時代はすでにリトラ廃止の方向に動いていたのです。

    ライバルと市場での立ち位置

    1991年という年は、日本のスポーツカー市場がまだ熱を持っていた時期です。ホンダ・シビック(EG6型SiR)はB16A VTECで170psを叩き出しており、1.6Lクラスの頂上争いは熾烈でした。AE101の160psは数字の上ではわずかに及びませんが、5バルブNAの独自性と、トヨタブランドの安心感で一定のポジションを確保しています。

    日産パルサーGTI-Rのようなターボ4WDという飛び道具もこの時代には存在しましたが、AE101が狙っていたのはそういう過激な方向ではありません。あくまで「日常的に使えるコンパクトクーペの中で、走りの質が高いもの」という立ち位置です。

    販売面では、バブル崩壊後の市場縮小の影響を受けつつも、カローラの名前が持つ販売網の強さに支えられて堅実に売れました。ただし「スポーツカーとして熱狂的に支持された」というよりは、「よくできたスポーティクーペとして選ばれた」という表現のほうが実態に近いでしょう。

    モータースポーツでの存在感

    AE101は、ワンメイクレースやグループAなどの競技シーンでも活躍しています。特にN1耐久(のちのスーパー耐久)では、4A-GE 20バルブの高回転特性を活かした戦い方が可能で、プライベーターにも広く使われました。

    また、TRD(トヨタ・レーシング・デベロップメント)からは競技向けパーツが豊富に供給されており、AE86ほどの「草の根チューニング文化」とは少し異なりますが、メーカー公認のモータースポーツ基盤がしっかり整備されていた点は見逃せません。

    海外、とくに東南アジアやオセアニアではAE101のレース人気が高く、日本国内よりもむしろ競技ベース車両として長く重宝された地域もあります。

    86の影に隠れた、正当な進化

    AE101の評価は、どうしてもAE86との比較から逃れられません。「FRじゃない」「軽さがない」「あの頃のレビンじゃない」──そういう声は当時からありましたし、今でもあります。

    ただ、冷静に見ればAE101は「1991年のトヨタが、1.6Lコンパクトクーペとして出せる最善手」をきちんと形にした車です。5バルブ4A-GEという尖ったエンジンを載せ、FFの制約の中で足回りを煮詰め、モータースポーツにも対応できるだけの素性を持たせた。やるべきことはやっています。

    AE86が伝説になったのは、あの車が「最後のFRカローラ」だったからです。つまり、後から振り返って意味が生まれた部分が大きい。AE101はその「後から来た側」なので、どうしても比較の中で割を食います。でも、それはAE101の出来が悪かったからではありません。

    4A-GEという名機の最終進化形を味わえること。5バルブNAの高回転フィールは、ターボ全盛の時代にあって独自の価値を持っていたこと。そして、次のAE111で4A-GEが最後を迎えることを考えると、AE101は「4A-GEが最も洗練された世代」として記憶される資格がある1台です。名前の重さに押しつぶされがちですが、中身はちゃんと進化していました。