投稿者: hodzilla51

  • BRZとは

    スバルというメーカーを支えてきた柱は、水平対向エンジンとシンメトリカルAWDの二本でした。BRZは、そのうち片方だけを持ち込んだクルマです。

    2012年の初代ZC6は、トヨタとの共同開発として生まれました。トヨタ側の車名は86。スバルは水平対向エンジンと生産を受け持ち、トヨタはD-4S、つまり直噴とポート噴射を併用する燃料供給システムを持ち込みます。2.0LのFA20型は200PS・205N・mと、数字だけ見れば平凡でした。

    狙いは最高出力ではなかったからです。水平対向はシリンダーが左右に寝ているぶん背が低く、そのままエンジンを低く積めます。重心を下げ、車重を1.2トン台に抑え、幅の狭いタイヤを履かせる。四輪が路面をつかむ限界を意図的に低いところへ置いて、その手前で起きることを運転手に全部見せる。これがZC6の設計思想でした。

    AWDを外したことも、その延長線上にあります。四駆で速さを稼ぐのではなく、後輪だけで曲がることをドライバーに任せる。スバルにとっては、自社の看板を一枚外してでも作りたいクルマだったわけです。

    2021年の2代目ZD8は、初代への不満に正面から答えた世代でした。排気量を2.4Lへ拡大したFA24型は235PS・250N・mで、初代が指摘され続けた中回転域のトルクの谷を埋めています。ボディの構造用接着剤やフルインナーフレーム構法によって剛性も大きく上がりました。

    それでいて、車体の低さも軽さも手放していません。速くはなったものの、性格は変わらなかった。同じ骨格を使うGR86に対して、BRZは足まわりの味つけで自分の答えを出しています。

    ZC6からZD8まで、2世代。BRZの歴史は、AWDの会社が「四駆でなくても操る楽しさは作れる」と証明し続けた記録です。

  • BMW M2とは

    M2の歴史は、M2と名乗らなかった一台から始まります。

    歴代2世代を型式で追うと、前身のE82、初代F87、2代目G87へ、BMWがこの小さなクーペを本流のMとして認めていく過程が見えてきます。

    2011年のE82型1シリーズMクーペ、通称1M。3.0L直6ツインターボのN54型は340PS、変速機は6速MTだけでした。エンジンは135i系をM向けに仕立て、足まわりやディファレンシャルにはM3の部品を使う。専用設計ですべてを揃えるのではなく、兄たちの持ち物を短い1シリーズへ押し込んだクルマです。

    ところが、その寄せ集めが熱狂を生みました。M3より小さなクーペにも、本物のMを求める人がいる。その事実を受けて2016年に登場したのが、初代F87型M2です。

    最初のN55型直6ターボは370PSで、まだM3/M4とは別の心臓でした。それが2018年のCompetitionでは、兄と同系統のS55型へ換装されて410PSに。2020年のCSでは450PSまで届きます。一代の途中で、親しみやすいMの入口から、兄と同じエンジンを持つ凝縮版へ変わったわけです。

    2023年の2代目G87型M2では、ついに順番が逆転します。M3/M4と同系統のS58型を最初から搭載し、最高出力は登場時の460PSから2024年に480PSへ。後輪駆動と6速MTも残しました。もう「兄から心臓を借りた弟」ではありません。

    ただし、その代償として全長は伸び、車重は1.7トンに達しました。M2を「小さくて軽いM」と説明することは、ここで難しくなります。

    2025年のG87型M2 CSは、その矛盾をさらに押し進めます。S58型は530PSまで高められ、約30kgを削った一方、変速機は8速Mステップトロニックだけ。6速MTを残す標準M2と、速さのためにMTを手放したCSで、同じM2の役割が分かれました。

    1MからF87、G87へ。最初は手持ちの部品を小さな器へ押し込んだクルマでした。いまでは、その器にM3/M4と同じエンジンが最初から用意されます。M2の歴史は、小さなMが本物になった記録ではありません。小さなMこそ本流のひとつだったと、BMW自身が認めていく記録です。

  • アルトワークスとは

    アルトワークスは、最初の一台で「馬力」の話を終えてしまったクルマです。

    歴代5世代を型式で追うと、その異様さがよく分かります。

    1987年のCA72V/CC72V。実用車のアルトに、軽自動車初の550ccツインカムターボを積み、最高出力は64PS。610kgの小さな車体には、十分すぎる数字でした。そして最上位グレードの最高出力は、2015年のHA36Sまで変わりません。

    普通なら、モデルチェンジのたびに馬力を上げればいい。ワークスは、結果としてそのやり方を一度も使いませんでした。

    翌1988年の2代目CL11V/CM11Vも、頂点は同じ64PS。転機は1990年のCN21S/CP21Sでした。排気量を550ccから660ccへ広げても、最高出力はそのまま。代わりに中低速のトルクを太くし、このモデルから商用バンではなく乗用車になります。速さを最高出力の数字に足すのではなく、普段使う回転域へ下ろしてきました。

    その後も、変わるのは64PSの周りでした。1994年のHA11S/HA21S系では、RS/Zに軽自動車初のオールアルミ製DOHCターボ、K6Aを投入。1998年のHA12S/HA22Sは同じ世代でも中身が違い、HA12SのieはF6A型SOHCターボで60PS、HA22SのRS/ZはK6A型DOHCターボで64PS。後者の2WD・5MTには、VVT、ヘリカルLSD、四輪ABSまで与えられました。エンジンの反応、曲がり方、止まり方。カタログの最高出力だけでは見えない部分を詰めていった時代です。

    2000年、その名前はいったん途切れます。

    面白いのは、15年後です。2015年のHA36Sが復活にあたって選んだ答えは、初代と同じ「軽さ」でした。最高出力はやはり64PS。そこに2WD・5MTで670kgの車体、専用5速MT、引き締めた足まわり、レカロシートを組み合わせます。パワーアップではなく、64PSを余さず使い切ることでワークスへ戻ったわけです。

    HA36Sは2021年の9代目アルトへの交代で姿を消し、現行アルトにワークスはありません。

    CA72VからHA36Sまで、5世代。アルトワークスの歴史は、馬力を増やした記録ではなく、同じ64PSからどこまで速さと面白さを引き出せるか試し続けた記録です。

  • チェロキーとは

    チェロキーは、四駆の常識を何度も捨ててきたクルマです。

    始まりは1974年のSJ。ワゴニアをベースに、まず2ドアの若いモデルとして登場しました。狙ったのは、小さなCJでは家族を乗せきれなくなった4WD好きです。街へも買い物へも行けて、そのまま家族で冒険に出られる。「仕事の道具ではない四駆」というチェロキーの立ち位置は、ここで決まりました。

    それをひっくり返したのが1984年のXJでした。独立したフレームを捨て、ボディと骨格を一体化したユニフレームへ。SJより約半トン軽く、全長は53.3cm短い。それでも室内容量の90%を残しました。四駆は大きく重いもの、という常識を壊したこの世代が、いまも「チェロキーらしさ」の基準です。

    XJが17年も続いたぶん、その後継は損な役を引き受けました。2002年のKJは、4.0L直6とリジッド式のフロントサスペンションを手放し、3.7L V6と独立懸架へ。北米では「リバティ」、欧州などでは「チェロキー」を名乗ります。2008年のKKも同じ二つの車名を引き継ぎ、角張った形へ戻りましたが、中身まで昔へ戻ったわけではありません。

    そして2014年のKL。フィアットとクライスラーが共同開発したプラットフォームに、ミドルサイズSUV初の9速AT、上下に分かれたヘッドライト。見た目も成り立ちも、歴代で最もジープらしくないチェロキーでした。それでもTrailhawkには後輪デフロックまで残しています。形ではなく、能力でジープだと言い切ったわけです。

    KLで名前がいったん途切れたあと、チェロキーはKM型として2026年に復活します。今度はSTLA Largeプラットフォームに1.6Lターボハイブリッド、後輪を切り離せる4WD。外形は四角く戻りましたが、四駆の仕組みとパワートレーンはさらに現代化しました。

    SJから新型まで、6世代。チェロキーが守ってきたのは構造でも形でもなく、「普段使えて、道がなくても進める」という一線でした。

  • マークIIとは

    マークIIは、名前が二度変わったクルマです。

    1968年に「コロナ マークII」として生まれ、1984年に「マークII」として独立し、2004年に「マークX」へ。この二度の改名が、そのまま日本のセダン市場の変化を写しています。

    出発点は派生車でした。1968年のT60/T70は、コロナとクラウンの間に空いた隙間を埋めるために作られたクルマで、エンジンは4気筒しかありません。当時「上級車の証」だった直列6気筒を手に入れるのは、1972年のX10/X20からです。型式の頭文字がTからXへ変わり、ここでコロナの系列から実質的に抜けました。

    1976年のX30/X40はセミクラシック調の押し出しで高級パーソナルカーの色を強め、1980年のX60でマークII・チェイサー・クレスタという「三兄弟」体制が固まります。ただし、この時点でもフルネームはまだ「コロナ マークII」でした。中身はとうにコロナと別物なのに、名前だけが出自を引きずっていたわけです。

    その名前が外れたのが、1984年のGX71でした。白いボディに1G-GEUのツインカム24。この世代がハイソカーブームの震源地になります。続く1988年のGX81/JZX81でバブルの絶頂を迎え、1JZ-GTEのツインターボが「格」に「速さ」を接続しました。

    面白いのは、そのあとです。バブルが崩壊しても、マークIIは走りを手放しませんでした。1992年のJZX90、1996年のJZX100は、直6ツインターボを積むツアラーVを看板に据え続けています。セダンが売れなくなっていく時代に、あえてFRと直6で踏みとどまった世代でした。

    2000年のJZX110でマークIIの名は途切れ、2004年のGRX120、2009年のGRX130が「マークX」として後を継ぎます。そして2019年、マークXの生産終了とともに、この系譜は50年余りの歴史を閉じました。

    T60からGRX130まで、11世代。型式の並びは、日本人が「ちょうどいい上質」に何を求めてきたかの記録そのものです。

  • スカイラインとは

    スカイラインは、日産が作り始めたクルマではありません。

    生まれはプリンス自動車。初代ALSI、2代目S50と続いたこのクルマは、1966年の吸収合併で日産の名を纏うことになります。その最初の世代が1968年のC10、通称ハコスカです。翌1969年にはGT-Rが設定され、レースで勝つためのスカイライン、という性格がここで決まりました。

    面白いのは、GT-Rがいた世代と、いなかった世代があることです。1972年のC110(ケンメリ)は歴代最高の販売台数を記録しながら、GT-Rはわずか197台で途絶えます。排ガス規制の時代でした。続くC210(ジャパン)にGT-Rの設定はなく、「名ばかりGT」と揶揄されることになります。

    その反省から生まれたのが1981年のR30、鉄仮面です。FJ20型でスポーツの血を取り戻し、1985年のR31では後のRB型が静かに始まります。そして1989年のR32。16年ぶりにGT-Rが復活し、RB26DETTとアテーサE-TSで不敗神話を作りました。

    R33は「デブ33」と言われ、R34は最後の「スカイラインGT-R」を生みます。ここでひとつの時代が終わりました。

    2001年のV35は、GT-Rを切り離し、直6も捨てた世代です。インフィニティG35として世界を向いた決断は、いまも評価が割れています。V36、V37と続き、2019年のRV37ではプロパイロット2.0を世界初搭載。走りの意味そのものが変わりました。

    GT-Rを持ち、失い、また持ち、そして手放す。スカイラインという名前は、その揺れをすべて引き受けてきた名前です。

    なお、GT-Rそのものの系譜はGT-Rの歴代モデル一覧に分けてまとめています。PGC10からR35まで、スカイラインの名を離れるまでの流れはそちらで追えます。

  • セドリックとは

    セドリックの歴史は、日産が「高級車とは何か」を12回考え直した記録です。

    1960年のP30で始まり、P31で高級車の形が固まり、1965年のP130で直6を得ます。1968年のP230で「大人のクルマ」になり、1971年の230型でグロリアと姉妹関係に。ここから両者は同じ道を歩むことになりました。

    面白いのは、時代の圧力への反応がそのまま型式に出ていることです。オイルショック直後の1975年に出た330型は、世の中が「大きなクルマ=悪」に傾く中で、曲面と装飾のアメリカン路線をさらに昇華させました。ところが1979年の430型では正反対へ振り切ります。直線的でクリーンな造形。しかもこの世代は、日本初のターボエンジン搭載車と、乗用車として日本初の直列6気筒ディーゼルを積んでいます。見た目は保守的に見えて、中身が一番攻めていた世代でした。

    1983年のY30でV6を導入し、L型直6の時代が終わります。そしてバブル。1987年のY31は、日産が本気で磨いた正装でした。Y32の贅沢さ、Y33の堅実さ、そして1999年のY34を最後に、セドリックという名前は消えます。

    P30からY34まで、12世代。日本の高級車観がどこで変わったのかが、型式の並びにそのまま残っています。

  • ブルーバードとは

    日産が初めて「名前」で売ったクルマが、ブルーバードでした。

    1959年のP310以前、日産の乗用車はダットサンの型式で呼ばれていました。そこに愛称を与えた最初の一台がこれです。1963年のP410ではピニンファリーナにデザインを委ね、日産は自分の見え方を外部の目に預けます。

    転機は1967年のP510でした。四輪独立懸架とSOHCのL型を積み、サファリラリーで総合優勝。日本車が世界で通用すると証明した一台として、いまも語られ続けています。ブルーバードという名前の評価の大半は、この世代が作ったと言っていいと思います。

    その後は大きくなり、豪華になっていきます。P610、P710、そしてFR最後のP910。1983年のU11でFFへ移行し、1987年のU12はSR20とアテーサを得て「走るブルーバード」の到達点になりました。U13、U14と続いたあと、名門の看板は静かに下ろされます。

    歴代10世代をたどると、日産という会社が何を目指し、どこで方向を変えたのかが、そのまま出てきます。

  • スイフトスポーツとは

    スイフトスポーツの一番の特徴は、速くなるたびに重くならなかったことかもしれません。

    起点は1991年のAF33S、カルタスGT-iです。1.6Lの16バルブで、当時としては十分に過激な、羊の皮をかぶった一台でした。スイフトスポーツを名乗るのは2003年のHT81Sから。1.5Lで115PS、車重1,000kgそこそこという構成で、ラリーの現場から評価が上がっていったのがこの世代です。

    2005年のZC31Sで1.6L・125PSへ。2011年のZC32Sは1.6Lのまま136PSに上げつつ、車重を1,050kg前後に抑えました。数字だけ見れば地味ですが、軽さを守ったまま出力を積んだ結果、「ちゃんと速い」と言われるようになったのがこの世代です。

    そして2017年のZC33Sで、ついに1.4Lターボへ。140PS・230N·mとトルクが一気に増え、車重は970kgまで落ちました。自然吸気の高回転を惜しむ声はありましたが、歴代で最も軽く、最も速いという結論は動きません。

    型式ごとに排気量も過給の有無も変わっていますが、軽さだけは一度も手放していない。それがこのシリーズの背骨です。

  • シビック Type Rとは

    シビックにType Rが与えられたのは、実はType Rの中でいちばん最後です。

    NSX、インテグラと続いた赤バッジがシビックへ降りてきたのは1997年、EK9から。それ以前のEF9・EG6はまだ「SiR」を名乗っていました。ただ、B16Aで生まれた「回してパワーを取る」という思想はこの2台で完成していて、歴代Type Rの原型は事実上ここにあります。

    面白いのは、この系譜が一度日本を出ていることです。2001年のEP3は英国生産の3ドア。2007年には日本向けの4ドアFD2と、欧州向けの3ドアFN2が並走しました。同じ名前で中身の違うType Rが、同時に2台あったわけです。FD2はK20Aの自然吸気で8,400rpmまで回り、FN2は欧州の道と法規に合わせて別の答えを出していました。

    そして2015年のFK2で、Type Rはターボになります。

    自然吸気の高回転こそType Rだと信じてきた層には、これは裏切りに見えました。ホンダの回答は数字でした。K20C1型2.0L VTECターボで310PS。ニュルブルクリンク北コースで7分50秒63を記録し、FF量産車最速の座を獲得します。日本仕様が750台限定だったのは、このタイムの「750」から取られたものです。記録そのものを商品名にしたわけです。

    その座は翌年フォルクスワーゲン・ゴルフGTIクラブスポーツSに明け渡しますが、2017年のFK8が7分43秒80で奪還。FL5へと続く現在の流れは、あのターボ化の決断の先にあります。

    型式ごとに、生まれた国も、エンジンの答えも、ドアの数さえ違う。それがこのシリーズの厄介で、面白いところです。